~THE CREATOR~

思いが想いに
         想像が創造へ
                  創作という作業

                            それはまさに業


             
僕らは創造主だ 

2016年12月30日金曜日

民間資格の乱立と背景

 理美容資格が国家資格 National Qualificationに対し、一般社団法人または財団法人が施行している資格はすべて、民間資格 Private Qualificationである。公的な資格 Public Qualificationでもない。
 国家にも認められず、公的にも認められていない民間の資格を、人々はこぞってお金を払ってまでも取りに行くわけである。ではなぜ公共社会において特に効力を有しない資格を取りに行くのか?
 この背景には企業側がメイクアップアーティスト、ネイリスト、カラーリスト等の技術者雇用を考えた時に、適切な技量を把握・判断しやすくすると同時に、各アーティストのステップアップを目的とした独立心、向上心を刺激する教育産業のための資格制度である。
 しかし、第一線で働く技術者達は各財団や法人が発行した資格を所持していない事が多い。
 また資格を所持している人間をいざ現場で働かせても、労働力として使えないと判断される事が少なくない事に注意を向けなければならない。
 この資格の乱立の背景には資本主義における組織体制の役員報酬の分配が起因していると思われる。

2016年12月16日金曜日

理容師免許・美容師免許の統合、一元化についての考察2

 理容師と美容師の大きな違いは何なのか?これは確実に押さえておかなければならない事項であろう。
 昔から、美容室=パーマ屋と言うイメージがあるように、美容師の専売特許となっているのはもちろんパーマだ。
 それと同じように理容室=散髪屋=髭剃りがあるというイメージ。そうシェービングの事だ。これが理容室の専売特許、売りの一つだ。
 
 美容師が自分達の産業を確立し、またその産業を守る他に作った美容師法という独立法の影響を受けて、理容師はパーマが出来なくなった。それに引き替えに美容師はシェービングが出来なくなった。
 しかし、時代が変わってお客様に提供するサービスが増え、シェービングができれば、パーマができれば・・・などと考えた人は少なくないであろう。
 保健所の立ち入り検査が入らなければ実施の所、営業中は何をしてもバレないというのはご愛嬌だが、店を維持し、時代を生き残るために必死な人からすれば、ライバル店とは差をつけたい所が人の本心だ。
 だが、現在の理容師法・美容師法の法律では美容師がシェービングをすれば違法であり、また理容師がパーマをすれば違法なのである。

 しかし、考えてみてほしい。江戸時代から戦前まで髪を切る、髷を結う、ヒゲを剃る、というこの三大施術を元々『理容』=髪を整えると言っていたのだ。
 もし、現在美容師がシェービングをしようと思うと、現在2年間の理容専門学校に必ず通わなければならない。また、理容師がパーマをしようと思うと2年間の美容専門学校に通わなければならない。さらに国家試験をまた受けなければならず、無駄な時間と費用がかさむようになっている。
 私はこれに対して、異議を唱えたいのである。元々一つだったものが民主主義と資本主義の荒波に揉まれ2つに分かれた。もちろんこの背景には女性労働者の独立精神や労働の確立もあったであろうが、もうそんな時代ではない。
 ましてや行政機関に申請書等を出す事も同じである。私は再び免許制度に対する一元化を訴え、ここに理美容師の新しい姿と教育機関に対するあり方を書き綴っていく。
 その発端として、これから一元化された理美容師をここでは仮に整容師(せいようし)と呼称する事にする。

2016年12月15日木曜日

理美容師免許資格の短縮

厚生労働省から出された、理美容師免許資格取得の時間短縮関する報告書のまとめ

・専門学校に通う時間を1000時間減らす。
・専門学校に通う期間を2年から1年に減らす。
・どちらかの免許があれば類似した実習を免除
・履修時間を2010時間から1020時間に
・昼間、夜間課程2から1年に
・通信課程は3年から1年半に
・国家試験の筆記試験は技術理論のみ

早ければ2018年の4月から実施する事

しかし、これを見てほしい。
新規免許登録件数
平成18年以降資格取得者の数値が下がってきている。
それの意味するところは、公共財団法人の利益が下がってきている。
もう一つ推測できることは、専門学校が生徒を取れていない。
理容師美容師研修センターに生徒を送り込めていない事に繋がる。

それは別として技術者の大半が思っているであろう事は、「いやいや、免許1つにまとめろよ。現場の事、何もわかってねぇよな政府は」だと思う。

しかし、よく考えて欲しい。あなた達が払うお金は、学校と公共財団法人に落ちるのだ。
結局の所、役員報酬を受けっとっている人間が、数値が下がってきたので、政治家に進言して都合のいいように制度を変えたとしか私には思えない。

だから、この制度はそうだよね。そう動くよね。ってことだ。
イコール、何も変わっていないのだ。

仮に本当に資格が欲しくてお金が欲しい人はどうぞ行って下さいと思う。


2016年12月12日月曜日

イギリス・ワーホリ関連情報

2017年のイギリス・ワーホリの概要が発表されたようですね〜
私も昔はワーホリで2年間、イギリスに行ってました。
懐かしい思い出w
ここにリンクを貼っておきます。
http://www.jawhm.or.jp/wh/uk2017/

2016年12月5日月曜日

理容師免許・美容師免許の統合、一元化についての考察1

 昭和32年以降、美容師法の制定により理容師から美容師が独立したわけであるが、それぞれの専門性、特殊性が先行し、美容師という業種が一人歩きした。
 それに伴い美容師免許(ライセンス)の取得の仕方、教育方針が定まったわけでるが、時代とともに教育内容も複雑化し、教育機関を卒業した人間が就職し現場に出るも、実際には営業中の美容室では労働力として使えない教育がなされている事が度々問題視される。
 これは戦後の民主主義とともに資本主義における経済優先の社会の影響を受け、国内、海外問わず教育機関までもが美容師免許を取得するためだけの機関としか機能しないことが挙げられる。
 これに拍車をかけたように美容専門学校では美容師免許の合格率だけをうたい文句にし、生徒を募り、学校の利益だけを優先しているのではないか?と私は考える。
 さらに国の機関である、理容師・美容師教育センターについても試験会場の運営や、審査員の動員などで諸費用がかかるとはいえ、これらの資金の出所は生徒からであって、紙クズも同然な免許に対し、そこまで諸費用を払う必要がないと思うのは私だけであろうか?
 国や行政、法人、財団、学園が金を吸い続ける仕組みはどうにかしたいものだ。
 美容業界の人の流れは移ろいゆく季節と同じように早く、たとえ美容専門学校を出て美容師免許試験に合格し、免許を取得したとしても離職率が高いように思われる。それはなぜであろうか?
 現職における夢や憧れなどはとうの昔に消え去り、安定した生活を求める現代人、ゆとり世代以降にとって、苦労してまで美容師をやりたいと思う若者が果たしてどれぐらいいることだろうか。
   朝早くからの掃除、営業、営業後の練習、休みの日の講習会の参加、無駄な大会行事。未だ残る根性論ありきの教育現場。古い時代の日本の悪しき習慣が残っているままで若者が育たない。気づいた時には心身共に疲弊し、転職するには遅すぎたなんてこともあるかもしれない。
   せめて美容師から理容師、理容師から美容師、メイク、ネイル、ヘアメイク、まつげエクステンション、着付等、理美容に関係のある職種についての転職のしやすさの推進、邁進をしたいと、私が考える免許制度における考え方を順序説明していきたい。

2016年12月4日日曜日

美容師法とその背景

 1957年(昭和32)6月に美容師法というものが制定された。
 それ以前はどうだったか?
 美容師という業は理容師と同じであった。

  髪を切ることを剪髪(せんぱつ)といい、髪を結うことを結髪(けっぱつ)といい、この両方の業を合わせて理髪(りはつ、髪を整える)と呼んでいた。

 公衆衛生に関係のある業種である理容業に対して法律が制定されたわけであるが、特に理容師と美容師の業の違いや、免許制度に対する分け方などはなかった。

 戦後の日本国憲法制定から徐々に美容師法は理容師法から独立する。
 その経緯を見てみよう。

 1901年(明治34)東京の理髪営業取締規制が制定される。
 1947年(昭和22)国会で理容師法案が可決成立する。養成施設を卒業するか、美容師試験の合格するかのどちらかの方法で免許が取得できた。
 1948年(昭和23)美容業界の徒弟制度が問題になり、理容師法の一部が改正。養成施設を卒業し、1年以上の実地習練を経た者でなければ美容師の免許を与えないことに。
 1951年(昭和26)2回目の改正では、法律の法律の名称が理容師法から理容師美容師法に改められ、理容からの独立が進められる。
 1957年(昭和32)理容と美容の業務内容が、それぞれ専門性・独立性を高めていき、施術内容を大きく変えた美容業界が理容から分離し、美容師法が制定された。

 この背景にあるものは日本の文化的な髷(まげ)に対する男女間の共通の認識と、戦前、戦後の国家に対する民衆の認識の変化が、美容業界の確立と、美容師法の独立を勝ち取ったと言える。
 それに大きく影響を及ぼしたのが、戦後、日本国憲法が施行され、民主主義が強くなり、言論、宗教、思想、自由ならびに基本的人権を確立されたことにあろう。

 難しく書いたが、ようはオシャレができるようになったって事だ!w
 ある人が言っていた。

 戦後、つけまつ毛を付けれるようになったんだってw