1957年(昭和32)6月に美容師法というものが制定された。
それ以前はどうだったか?
美容師という業は理容師と同じであった。
髪を切ることを剪髪(せんぱつ)といい、髪を結うことを結髪(けっぱつ)といい、この両方の業を合わせて理髪(りはつ、髪を整える)と呼んでいた。
公衆衛生に関係のある業種である理容業に対して法律が制定されたわけであるが、特に理容師と美容師の業の違いや、免許制度に対する分け方などはなかった。
戦後の日本国憲法制定から徐々に美容師法は理容師法から独立する。
その経緯を見てみよう。
1901年(明治34)東京の理髪営業取締規制が制定される。
1947年(昭和22)国会で理容師法案が可決成立する。養成施設を卒業するか、美容師試験の合格するかのどちらかの方法で免許が取得できた。
1948年(昭和23)美容業界の徒弟制度が問題になり、理容師法の一部が改正。養成施設を卒業し、1年以上の実地習練を経た者でなければ美容師の免許を与えないことに。
1951年(昭和26)2回目の改正では、法律の法律の名称が理容師法から理容師美容師法に改められ、理容からの独立が進められる。
1957年(昭和32)理容と美容の業務内容が、それぞれ専門性・独立性を高めていき、施術内容を大きく変えた美容業界が理容から分離し、美容師法が制定された。
この背景にあるものは日本の文化的な髷(まげ)に対する男女間の共通の認識と、戦前、戦後の国家に対する民衆の認識の変化が、美容業界の確立と、美容師法の独立を勝ち取ったと言える。
それに大きく影響を及ぼしたのが、戦後、日本国憲法が施行され、民主主義が強くなり、言論、宗教、思想、自由ならびに基本的人権を確立されたことにあろう。
難しく書いたが、ようはオシャレができるようになったって事だ!w
ある人が言っていた。
戦後、つけまつ毛を付けれるようになったんだってw
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